自分の望む最期(死)を迎える一番簡単な方法は「家族と話す」です

加齢や疾病が原因によって、寝たきりを余儀なくされている方たちがいます。最近は医療の進歩が著しく、今まで救えなっかた命が医療の力で救えるようになってきています。死亡しない限り医療の力で、生き続けることができるようになってきました。日本は皆保険制度を導入しているので、国民誰しもが3割負担、高齢者については収入に応じ、3~1割負担で医療を受けることができます。40歳からは介護保険にも加入しますので、要介護状態になれば介護保険も使うことができます。

寝たきりを余儀なくされている高齢者の方々の年金は、自分達の入所費用に大半が消えていきます、標準的な療養型の施設で1か月約15~20万円の費用が掛かります。受け取れる年金額は、個々で雇用状況が違うので、一概には言えませんが、収支トントンくらいの施設を選ぶ傾向があるようです。なぜなら寝たきり状態では当の本人にお金の管理はできませんので、入所者家族が管理しています。人間一人を介護していくことはとても大変です。自分たちの時間と金も有限です。なので面倒を見る家族にとっては、金銭負担と介護負担のバランスが取れた施設を選択されるわけです。

口から食物を摂取することができず、経鼻経腸栄養によって生命を維持されている方も多くいます。老い先短いけれど、少しでも生きていてほしい、ただ生きていてくれればいい。チューブにつながれて流動食を流し込まれている姿に、そんな家族からの切なる願いが伝わります。しかし、当の本人たちは果たしてこの状況を望んだのか?今この状況に満足しているのか?家族はこの姿を見て本当に良かったと思えるのか?疑問は尽きません。答えを知るはずの本人たちが、真意を伝えられる状態にないからです。

家族の希望にすべてが委ねられます。そこに自分の意思意向は含まれていない場合がほとんどです。

「ただ生きていてくれたらいい」という言葉の裏には金銭が見え隠れすることもあります。例えば、入所者の受給する年金が多いので、施設料金を払ってなおかつプラスになる。余った分は家族がありがたく頂く。生きていてくれる限り家族にとって不労所得が得られます。こんなおいしい話はありません、だから家族はできるだけ生きていてほしいと願うわけです。もちろん入所したばかりの頃はそんなこと微塵も思っていなかったはずです。でもその人がいない生活が続くと、いないことが当たり前になり、年金が受け取れることも当たり前になってきます。最後にはとりあえず生きててくれればお金がもらえる。という最悪の思考に至ってしまう人が少なからずいるのでしょう。

延命を拒否することに罪悪感を覚えることも分かります。親に対して冷たい、非情、恩知らずと世間様から、後ろ指差されるのを回避したい気持ちも十分わかります。でも世間体や噂、一般常識的なものために年金が使われてしまうことが、どれほど無意味かを分かってほしい。自分が今まで積み立ててきた年金だから使用用途は自由かもしれません。年金の半分は税金、半分は自分たちの社会保険料で賄われています。言ってみればほぼ現役世代の負担です。年金のおこぼれを頂いて喜んでいる場合ではありません、親が元気なうちに延命について話しておくべきでです。病気や事故には突然に見舞われます。本人の意思を尊重するのであれば、認知機能が衰える前に確認することをおすすめします。