海上自衛隊の仕事に飽和潜水という深海に潜る仕事があります。
主な仕事はなんらかの事故や故障によって何百メートルもの海底に沈座してしまい、自力で浮上できなくなった潜水艦の乗員を救助することです。
一言で救難といっても具体的に何をするのかについては海上自衛官も含め知らない人の方が多いと思いますので、今回は世界に誇る日本の潜水艦救難における飽和潜水の役割について説明していきます。
潜水艦を救難する方法は2つ
海の底に沈んだ潜水艦を救難する方法は大きる分けると2つあります。
一つが潜水艦自体を海底から引き揚げる方法。
もう一つが潜水艦の乗員のみを救助する方法です。
一つ目の救難方法については初期の潜水艦は小型で浅い深度までしか潜ることが出来ませんでしたが、技術に進歩により潜水艦の大型化、潜航可能深度の増大に伴い事実上かなり難しくなっています。
したがって現在主流となっているのが2つ目の潜水艦の乗員のみを救助する方法となっています。
日本の潜水艦救難も潜水艦の乗員のみを救助することがメインとなっています。
ちなみに潜水艦の乗員も沈んでしまったからといって指を咥えて待っているだけではありません。
自力で海底から脱出する訓練を必ず受けますで、最悪救助が期待できない場合には自分たちだけで浮上することができます、あくまで最終手段ですが。
潜水艦乗員の延命措置
潜水艦救難における飽和潜水員の役割は4つあります。
その一つは延命措置です。
潜水艦の発見と救難には時間がかかります。
延命措置の具体的な内容は潜水艦の外側から空気や流動食を補給することです。
潜水艦の行動については自衛隊内でも秘密とされていて、出港してしまうとどこにいるのか正確な位置を把握することが出来ず遭難から発見まで多くの時間がかかってしまいます。
潜水艦乗員が生存中に潜水艦の所在が発見されるだけでも幸運といえるでしょう。
つまり潜水艦に残っている空気や水、食料といった生命を維持するために必要なものがほとんど残っていない可能性が高いということです。
飽和潜水員は潜水艦が沈座している海底まで潜り潜水艦救難艦から何百メートルと伸びる空気や流動食を送るホースを潜水艦に接続することで潜水艦乗員の延命の援助を行います。
潜水艦の外殻の接続口には文字だけでなく、大きな点字のような印が付いていて深海の暗闇でも触れば何を接続する場所なのか分かるようになっています。
飽和潜水員は空気や流動食といった救難ホースを接続するため潜水艦の構造についても詳しく勉強することになります。
潜水艦への救難ホースの接続は想像以上に大変です。
救難ホースが固く長く重いこと、潜水艦特有の流線形の形状により周囲の潮流速度が増加すること、海底地質により視界が悪くなりやすいことなどが主な原因となります。
飽和潜水員は基本的な救難知識、潜水知識以外にも状況に応じた臨機な対応が必要とされます、チーム潜水とはいえ最後に頼りになるのはその日まで積み重ねてきた自分の知識や技術ということです。
潜水救難艇による直接救助
もう一つの潜水艦救難に救難艇による直接的な人員救助があります。
潜水艦救難艇の乗員は潜水艦の適性を持つ自衛官と決められていますが、救難室員という配置であれば潜水艦の適性がなくても飽和潜水員であれば乗ることが可能となっています。
潜水艦救難艇は海底に沈座した潜水艦にドッキングして乗員を一回に10名程度収容することが出来ます。
そのとき潜水艦乗員と直接コンタクトを取り救難艇に案内するのが飽和潜水員となります。
救難艇の操縦室と潜水艦乗員を救助する部屋は別々の区画になっています。
これは救助中に潜水艦乗員と救難員に万が一何かあったとしても救難艇と操縦士の安全を守るためです。
潜水艦乗員の立場からすれば我先に救難艇に乗り込もうとするでしょう。
しかし乗り込む乗員には優先順員があります。
それはより元気な人間です。
一般的には生命力の弱った人から助けるのがセオリーですが、潜水艦救難ではより生存率が高い人間を優先的に救助していきます。
一番の理由は救難に時間がかかることです。
助けられるかもしれない弱った人間を救難艇にのせて浮上したとしてもその後の治療で助からない可能性があります。
次の救助が来るまでに体調を悪くして救命の確率が下がる可能性や天候悪化や救難艇のトラブルにより救助に行けなくなることも考えられます。
つまり潜水艦救難において”次がある”と考えてはいけないということです。
次がないのであれば救難室員はより生存率の高い隊員を選別する必要があります。
実際にどこまで救難室員に権限があるかは分かりませんが、死ぬかもしれない状況下の人たちと向き合うにはよほどの覚悟と精神力が要求されることでしょう。
飽和潜水装置の運用
3つめはバックアップ業務である、飽和潜水装置の運用があります。
ダイバーとして表舞台で活躍するのはほんの一握りの飽和潜水員です。
装置の運用者であるテンダーはダイバーを24時間体制で支えている縁の下の力持ちです。
業務内容はダイバーの生命維持に直結する居住区タンク内や潜水作業中の呼吸ガスの管理。
潜航速度、浮上速度、飽和深度の保持が適正に管理されているか監視したり、タンク内への食事の提供、洗濯物の上げ下げ、トイレやシャワーで使用した汚水の処理など多岐にわたります。
現在の飽和潜水における加減圧保圧、温度管理など生命維持に必要なことはほぼコンピューターによる制御で行われていますが、それが正常に稼働しているか?異常の早期発見、対処は人の目や手でなければ行うことはできません。
ダイバーとして潜るよりテンダーとして危機を維持管理する方がより多くの知識や経験を要することは想像に難くありません。
なので一人前の飽和潜水員へのステップとしては
①機器の取り扱いに精通する
②テンダー業務が滞りなく行えるようになる
③潜水器具を使いこなしダイバーとして作業をこなし経験を積む
そのうえでようやく認められるのが一般的のようです。
救難艇の運用
最後の役割として救難艇の運用に関わる作業があります。
救難艇は潜水艦救難艦をマザーシップとしたミニチュア潜水艦です。
救難作業には救難艦でバッテリーの交換や救助した潜水艦乗員の再圧タンク室への移乗が含まれます。
ミニ潜水艦とはいえ洋上の船の上で巨大な構造物を移動させるには多くの人手が必要です。
作業のメインは船の運用を主特技とするプロが行いますが、飽和潜水員も協力して作業を行います。
潜水艦の沈座している深度によりますが、1回の救難オペレーションに要する時間は数時間。
潜水艦乗員を全員救出するにはそれを何度も繰り返す必要があります。
潜水艦救難は潜水艦の発見が難しく、発見できたとしても沈没からかなりの時間が経過していて空気や食料の残量が少ないなどの理由から時間との戦いになることが多くなります、そのため救難作業は不眠不休で行われることになります。
救難艇の操縦士、救難員、救難艇の運用者、救難艦の乗組員全員が潜水艦乗員の命を救うという任務のために一つとなります。
まとめ
潜水艦救難における飽和潜水員の役割について説明してきましたがいかがでしたでしょうか?
飽和潜水員は深海に潜って作業するだけでなく、様々な役割があって潜水艦救難が行われていることを知ってもらえたのではないでしょうか。
潜水艦救難という仕事はないに越したことはありません。
海上自衛隊における飽和潜水員は暇であることが望ましいです。
しかし万が一に備え飽和潜水員は常に体を鍛え技術を磨き知識をアップデートしています。
潜水艦が安心して潜れるのは日本に2隻しかない潜水艦救難艦と飽和潜水員の存在があってこそです。
飽和潜水員の仕事を少しでも知ってもらい、飽和潜水員を目指す人が一人でも多くなることを願っています。
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